上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
リハビリ中のガットゥーゾが、早くもランニングを始めた、というニュースが出ました!
 回復が順調だからでしょうか、無理はしないでほしいですが、やる気満々のリーノ、頼もしいです♪

 また、別のニュースでは、リーノが自分の人生を語ったそうで、うーん、やっぱりかなり深刻な状況をぬけての今季だったのだ、と納得しました。。。。だから、今、リハビリこんなにがんばれるんですね。
 ロングインタビューだったとのことで、他にもいろいろしゃべってくれたようで、
 
 -ですが、クラブW杯はそう苦労しませんでした。

「あれもまた、1つのリベンジになったね。オレたちはボカ相手より、日本のチーム(浦和レッズ)との対戦でより苦しんだ。リヴァプールにもボカにもリベンジできたってのは、最高だったよ」


 …って、そうだったんだ~~,ミランと同じく守りの固いレッズ相手の方が、苦労してたんですねえ。
 ミランを苦労させたレッズは、その後(ミラン同様)へろへろになっちゃいましたが、J開幕まであと少し、今季だんだん調子あげたミランと同じように、タカハラ選手とか頑張ってもらって(代表復帰もしてもらって)、再生してくれるかな?
 
 しかし、チームメイトのネスタが、長期のリハビリからの復帰間近、といわれていたのに、また痛めてしまって復帰が遠のいた、とのニュースも。。。。待ってるファンもですが、何より本人も辛いだろうなぁ。。。でもやっぱり、あせらず直してもらいたい!!がんばれネスタ!

2009/02/13 23:06
ガットゥーゾがランニングを再開4月の復帰を目指す
昨年12月15日に右ひざ十字じん帯の手術を受けたミランMFガットゥーゾについて、ミランに朗報が届けられている。

手術によりシーズン中の復帰が不安視されていた同選手は12日、周囲の予想に反し、ミラネッロ(ミランの練習場)でランニングを再開したのだ。ガットゥーゾは、4月5日に本拠地サン・シーロで行われるレッチェ戦での復帰を目指し、これから準備を進めていくこととなる。



ガットゥーゾ、半生を語る。
2009年02月14日08時48分 / 提供:Gazzetta.it.
昨年12月に右膝十字靭帯を損傷する重傷を負い、現在リハビリ中のACミランのイタリア代表MFジェンナーロ・ガットゥーゾ(31)が、“SKY”のインタビューに応じ、自身のサッカー人生を振り返った。

ペルージャ時代については「当時ペルージャの会長であったガウチは、クラブ経営に多額を投じていた。他の選手と共に将来を夢見ていたよ。17歳の時にセリエBのパレルモ戦でプロデビューを果たした。ゴール前の絶好のチャンスでシュートを外し、ガレオーネ(監督)にこっぴどく怒られたのを覚えているよ。翌年、ペルージャはセリエAに昇格し、12月23日のボローニャ戦で、俺はセリエAデビューを果たした。当時は未熟だったよ。マテラッツィ(インテルDF)との友情はこの頃から始まったんだ。スランプに陥った俺を常に励ましてくれていたんだ」。

レンジャーズ時代については「レンジャーズからのラブコールで移籍が実現した。金銭目的で移籍を決断したんだ。4年契約で高額年俸を提示された。断ることはできなかったよ。レンジャーズ移籍を決断したからこそ、一層強い選手になれたと思っている。レンジャーズのロッカールームはガスコインが仕切っていた。また、ガスコインは、イタリア語を話す数少ない選手の1人であり、俺は彼と行動を共にすることを余儀なくされた。意見が食い違うこともあったが、思い出すのは楽しいことばかりだ」。

サレルニターナを経由して最終的にACミランの一員となったことについては「サレルニターナは、ASローマと合意に達していたんだ。センシ(ASローマ)会長から『我々の家族にようこそ』と言われたが、ACミランに移籍すると思っていたので、驚いたよ。俺の父親が、サレルニターナの会長を説得してくれた。家族中がミラニスタであり、俺もACミランでプレーすることを夢見ていたんだ」。

今季開幕前にバイエルン移籍が目前まで進んだことについては「自分の全てを出し切ったと感じ、ACミランを去りたいと思っていた。空虚感に襲われていた。家族は移籍に反対であり、ガリアーニ(ACミラン副会長)とアンチェロッティ(ACミラン監督)も納得してくれなかった。彼らと話し合った日は、人生で最も長い1日だと感じたよ。午前9時30分に事務所に入り、午後2時に一時中断。午後4時から再開し、話し合いは夜にまで及んだ。彼らはACミランが俺にとって何であるか、そしてACミランにとって俺がどのような存在であるかを分からせてくれた。最終的にはバイエルン・ミュンヘンからのオファーを断り、彼らから提示されていた高額年俸も諦めたよ」。



ガットゥーゾ:「最高の瞬間はマンチェスターでのCL制覇」ロングインタビューで様々なテーマについてコメント
印刷 友達に知らせる お問い合わせ galleria zoom

ケガからの復帰を目指してリハビリ中のミランMFガットゥーゾが13日、イタリア『スカイ』のインタビューに応じ、様々なテーマについて語った。このなかで同選手は、04年のスクデット獲得よりも、03年にユヴェントスを下してCL優勝を果たした時の方が嬉しかったと明かしている。



-ミランで初めてタイトルを獲得したのは、02-03シーズンでした。コッパ・イタリアとCL、欧州スーパーカップを獲得しています。

「ユヴェントスを相手にCL制覇を果たせたのは、信じられないほどの喜びだった。あの時に感じた気持ちは、表現することができないほどだね。オレはずっとCL優勝を夢に見てきた。その時は、解放されたようなものだったんだよ」



-マンチェスターでのファイナル、覚えていることは?

「全部覚えているさ。オレを育て、サッカーをやるチャンスをくれた両親に感謝した。勝利は彼らに捧げたんだ。人生で初めて、願いを実現させたって感じだったよ」



-その翌年にはスクデットを獲得しました。ここまでは、あなたにとって唯一のスクデットです。

「ホームでローマに勝ち、オレたちはイタリア王者になった。でも、マンチェスターでの喜びの方が大きかったな」



-イスタンブールでのCLファイナルに敗れた後、あなたは初めてミランからの移籍を望みましたね。

「あの敗戦の責任をあまりにも感じていたんだ。あの決勝戦では、自分がハイレベルじゃなかったと感じていたからね。環境を変えるのが正しいことだと思ったんだ」



-あのファイナルに敗れたことが苦悩につながったと?

「すべての責任が自分にあるかのように感じていた。自分のこともよく思えなかったし、それ以前のような熱意をもって練習することができなかったんだ」



-06-07シーズン、ミランはCLと欧州スーパーカップ、クラブW杯と、国際タイトルすべてに勝ちました。最高の1年だったのでは?

「ベストかどうかはわからないな。最初の5ヶ月はいいプレーができず、オレたちはずっと苦しんでいた。W杯に優勝したあら、ガッツがもうなくなったとも言われたよ。でも、マルタでのキャンプ以降、チームは素晴らしい戦いを始めたんだ。たぶん、最高の年だったのは、2003年のCLと、デポルティボに負けた2004年のCLだったんじゃないかな。ここ数年のオレたちは、ヨーロッパの舞台に出て、どこが相手でも勝ってきたんだ」



-欧州スーパーカップの直前には、セビージャのアントニオ・プエルタ氏が亡くなるという出来事もありました。

「このうえなくおかしな雰囲気だった。オレたちは試合をしたくなかったんだけど、彼らがやるって決めたんだ。普通はファイナルの前にになると、ドレッシングルームでお互い気合を入れるものなんだけど、雰囲気が違った。ドレッシングルームでセビージャが音楽を大音量で流していたからさ。たぶん、起きたことを忘れたくなかったんだろう。あの試合ではとても敬意が払われていたし、フェアなプレーだった。オレたちは勝ったけど、それは苦しみながらだったんだ」



-ですが、クラブW杯はそう苦労しませんでした。

「あれもまた、1つのリベンジになったね。オレたちはボカ相手より、日本のチーム(浦和レッズ)との対戦でより苦しんだ。リヴァプールにもボカにもリベンジできたってのは、最高だったよ」



-今シーズンは新たな歴史の1ページとなるはずです。初めて、ある選手が試合中にひざのケガをしながらも、残りの86分間を戦い続けたのですから・・・

「カターニアとの試合後、『神様がよくしてくれたんだ。ひざをぶっ壊す恐れもあったんだぜ』って言ったよ。でも実際は、すでにぶっ壊れていたんだ。だけど、オレは気がつかなかった。試合中はちょっと違和感を覚えていた。でも、その後に感じた痛みとは違ったんだ」

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://shieikan.blog9.fc2.com/tb.php/957-30fe00de
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。